【Key作品の共通点】理不尽に巻き込まれる少年少女たち

こんにちは、サクラノです。

今回は、下記のアニメの共通点を推察してみたいと思います。

筆者はCLANNADが大好きで、PS2版を死ぬほどプレイしていました。

ですが、近年のKey作品をプレイ・鑑賞してみようとすればするほど、「ああ、またこういう感じのストーリーか」と思ってしまい、最後まで見ることができないのです。

何故なのだろうか、と疑問に思い、今回はその理由について考えてみました。

 

そして、2020年、
『神様になった日』が放送され、ふとKey作品の共通点に思い至りました。

 

シナリオライターである、麻枝 准(まえだ じゅん)さんの描く作品は、

理不尽な出来事に巻き込まれる少年少女たちのお話なのだろうか、と感じたのです。

例えば、CLANNADの主人公である岡崎朋也は、母が他界し、父はアルコールにおぼれている家庭環境を持ちます。恋人である古河渚との生活を楽しく送りますが、仕事上の昇進は、父の逮捕という事件によって取り消されます。

これは、どこからどうみても、朋也が悪いわけではないと思います。

「かわいそうな私、ひどいあなた」という構図ができてしまっているのです。

 

※それでもサクラノはCLANNADが好きです。なぜここまで肩入れしてしまうのかについては、別の記事でお話ししようと思っています。

次に、リトルバスターズの例を挙げると、主人公たちは自分が原因ではない事故に巻き込まれてしまいます。このシチュエーションも「かわいそうな私、不条理な出来事」という形に当てはめることができます。

Key作品は、あえて「かわいそう」だとはキャラクターに思わせてはいませんが、客観的にみて、同情や共感を誘う設定であることは確かなのではないでしょうか。

麻枝さんの来歴を見ていると、つらい現状に対してのフラストレーションを作品で解消しているのではないかと思わされることがあります。

「神様になった日」を最終回まで、見てその思いは、さらに強くなりました。

麻枝さんは、難病やうつ病など、人一倍苦しい経験をしている方だと思います。

だからこそ、最終的フラストレーションの解放されるような物語を作ることが出来ているのかもしれません(麻枝さんの中でのフラストレーション)。

Key作品は、ツッコミどころが多いと感じていますが、それを上回る「離別」や「幸せ」の表現に涙腺の弱い私は、ウルっとさせられてしまいます。

ですが、そのツッコミどころを無視できない方には、とっつきにくい作品なのかもしれません。

作品に対してユーザーは、「飽きさせることなく、楽しませてほしい」と願うと思います。

ですが、Key作品は、「同じようなシチュエーション」を繰り返しているのではないでしょうか。

もしかしたら、私が近年麻枝さんの作品に感情移入できなくなってしまったのは、「お腹いっぱい」になってしまったからなのかもしれません。

雑多な感想になってしまいましたが、今回はこのあたりで失礼します。

今度は「CLANNAD大好きユーザーが、妄信的に見ないようにしてきたことをあえて挙げてみる」のような記事を書くかもしれません。